0326 22:15
指定された建物に辿り着いた。
一歩踏み出すとパキッとプラスチックの破片を踏んだ音がした。
しゃがんで確認すると、それは何か電子機器のような物だった。
この近くにもこれに似た物が散らばっていた。
立ちあがって辺りを見回すとすぐ近くには千切れた紙が落ちていた。
よく風で飛ばなかったなと思いながら拾い上げて見ればそこに書いてあったのは『試験薬:G-043』の文字。
見覚えがあった。これは俺が作った、麻痺薬だ。これがこの様な形である。と言うことはこの破片は……
「馬鹿野郎が……」
あの量のデータを集めるのにどれだけの年月を重ねたと思っているんだ。ふざけるな。
殺意に近い感情すら覚えながら屋上を目指し、駈け出した。
何かが落ちて壊れる音を背中で聞いた。
『London Bridge is falling down,Falling down,Falling down. London Bridge is falling down,My fair lady.
Take a key and lock her up,Lock her up,Lock her up.Take a key and lock her up,My fair lady.』
屋上に辿り着き、扉を開けると聞こえてきたのはアコーディオンの音色と男の楽しそうな歌声だった。
歌っている歌は聞いた事のある童謡だった。
「やあ、こんばんは」
ボロい柵に座っていた男は歌い終えるとこちらを振り返った。
青い帽子の男。先日まで試験体にしていた男。
「何の真似だ」
「時期はずれちゃったけど、君とのんびり月見でもしようかなと思ってね?」
「ふざけるな。俺のデータを返せ」
男の薄ら笑いが癪に障った。
「データ……ああ、これの事かな?」
とぼけたような調子で男がジャケットの内ポケットから取り出したのは数個のUSBメモリ。
俺がこれまで集めに集めた実験データを記録したものだった。
「それ以外に何がある。さっさと返せ。余計な事までしやがって」
「余計な事?……ああ、もしかしてこういう事かな?」
男は何食わぬ顔で持っていたメモリを一つ、柵の向こうに放った。
今までもずっとこうやっていたのだろう。
「……」
「そんなに返して欲しいなら……取り返しにきなよ」
薄ら笑いをやめない男は笑みを深めたが、その瞳に笑みはなかった。
ダッと駆け出した。相手に近づき、拳を振るう。
しゃがんで避けた男に下段蹴り。飛んで回避される。
こちらから仕掛けることはあっても男は仕掛けて来なかった。ただ避けるばかりだった。
同じような状況が暫く続き、男を元いた柵の近くまで追い込んでいた。
油断したのか、男の動きが一瞬止まった。その隙を見逃す訳が無かった。
ボディブローを一発与える。漸くの一撃だった。
「ぐっ……!……なんてね」
ダメージを受け、くぐもった声が聞こえた。
その後すぐに聞こえたのはいつも通りの穏やかなその声だった。
「あ?」
見えたのは帽子の下にある三日月型に歪んだ口。その直後、脇腹に強い衝撃。
その衝撃で俺はボロい柵ごと横に吹っ飛んだ。
(油断していたのは俺の方だったか……)
柵は落ち、辛うじて端に掴まる事が出来たもののいつまで持つかどうか。
「随分と冷静じゃない」
男が帽子を被り直しながら柵があった所に座り込んだ。その顔は愉快で仕方ないと言った顔をしている。
「見下ろされる気分は如何かな?君くらいだと滅多に味わえないだろう?」
今俺が生き存えるには、こいつを支えにして上るしかない。
やってみるか、そう思って手に力を込めるもその手をダンと踏まれた。
「っ……」
「ああ、駄目だよ。今は僕が君を見下ろす番だ」
「……殺すならさっさと殺せ」
組んだ指に顎を乗せ、ニコニコと笑みを浮かべる男の顔に反吐が出そうだった。廻りくどい事は嫌いだ。
「誰に命令してるの?実は僕ね、君に怒ってるんだよ」
「……下らねえ」
「何とでも言いなよ。僕は僕なりのやり方で君にお返しをしたいだけなんだ」
「だから昨日今日でこれか」
「厳密には一昨日からなんだけど……あれ?もしかして僕の勘違いだったかな?」
「…………」
返す言葉に詰まった。目の前で消えたあいつは、俺への復讐に使われる程だったのか?
そもそも俺はあいつをどう思ってた?
「君って案外初心なんだね」
クスクスと笑う男の言葉は無視した。
「……さて、これからどうしようか」
不意に違和感を覚えた。顔をあげると男の手にあったのは赤い石、俺のコアだった。
「いつの間に……」
「初めてじゃないでしょう?」
これを見るの、そう言いながらコアを持つ手をヒラヒラとさせた。
「……」
「まあ安心してよ。心配する事なんて何もないよ」
もう片方の手が伸びてくる。やめろ。
「怖い事なんて何もないからね、赤城君?」
ベタリと男の手が顔に触れた。
やめろ
やめろ やめろ
やめろ 触るな 俺に触るな
「俺に、触るな……っ!!」
男の手が離れ、俺の手も離れた。
落ちている。
背中で風を切って、重力相応の速度で落ちている。
今まで何かとしてきた。善行とは言えないそれらだが、後悔なんてしていない。
後悔するくらいなら最初からしない。俺は俺がしたいようにした。それだけだ。
悩みも悔みもしない。
落ちる前、あいつの手を振り払った事だってそうだ。
触られたくなかった。
やけに生ぬるいその手が酷く気持ち悪かった。
だから振り払った。コアを奪われた時点で死ぬか消えるかは決まっていたんだ。
だったら躊躇う必要なんて無いだろう。
あいつの顔が遠くなっていく。
その代わりによく見えたのは真っ黒の空、そして丸い丸い―――
(月……)
―――赤城さん、―――
不意に思い出したのは自分の目の前で消えた者の名前。
(ああそうか。これが……)
「なあ、アマネ……」
不意に零れた名前は自分を好きだと言った者の名前。
「せめてもの情けを君に」
「月、綺麗だな……」
赤城 消滅
(これが、愛とか恋とかそういう奴だったんだ)
『 井の中の蛙、大海を知らず。されど空の蒼さを知る井の中の蛙、大海知らねども花は散りこみ月は差し込む 』
Special Thanks
林斗さん
and you...