【 сүүдэр 】
「はあ……はあ……」
訳が分からなかった。訳も分からずただひたすらにエルは逃げていた。
もう今更、何が起きても混乱する程の事は起きないだろうと何処かで思っていたのかもしれない。
だがそれは甘かった。でもまさか、こんな事が起きるだなんて誰が予想できただろうか。
(何だよ、何なんだよ影って―――!)
「きひゃはははは!!逃げろ逃げろッス~!!」
後ろから、決して遠くない距離から聞こえるのは自分と同じ声。
ビリビリと伝わる殺気に振り返ると、そこにいたのは自身を『エルの影』だと名乗った自分と同じ顔のヒト。
同じ相棒を連れているヒト。ただ違う所と言えば、全身の色と殺意しか見えない目、そしてこの状況を愉しんでいる顔。
「ほらほら!オレを殺さないとアンタが死ぬだけッスよ~!?」
白銀の相棒を乗りこなし、徐々に距離を詰めながら衝撃波を繰り出してきた。
エルはそれを避けながらある方角に向けてトゥルムを走らせていた。
確かアルセウス様、テンガン山の頂上にまで辿り着けと言う話だった。
きっと大勢の人が向かっているのだろう。自分が行く事で、またあの山が戦いの場になってしまうのは分かっていた。
だが、それでも行くしか無かった。
行かない事で世界が更に混乱するのであれば、それはテンガン山が、シンオウが更なる危険な目に合う。それだけは何としても避けたかった。
そうこうしている内に山の麓まで辿り着いていた。まだ少し迷いはあった。だが影はすぐそこまで来ていて、ここで足を止める訳には行かなかった。
「行くよ、トゥルム!」
トゥルムに声を掛け、一目散に山の斜面を登り始めた。
生い茂る木々の間を擦り抜け、後ろから放たれる衝撃波たちを掻い潜り、なんとか山の中腹まで辿り着いた。
「鬼ごっこは、終わりッス!!」
「くっ……うわぁ!?」
何度目かの衝撃波をかわしたは良かったが、間髪入れずに放たれていた黒い塊を避けきる事が出来ずにエルは雪の斜面に転がり落ちた。
「ア~、マジしょっぼいッスね~。普通避けるっしょあんぐらい~」
首をコキコキと鳴らしながら至極つまらなそうな表情を浮かべてエルの前に降り立った。
「ただ殺すっつても~、サックリ死なすのもつまんないじゃないッスか~。だから頑張って欲しいんスけど~?」
エルが立ちあがるのを待ちながらダラダラとした口調で言葉を続けた。
同じだけど、同じじゃない。『影』とはこういう事でもあるのか。
色々な事を考えながら、戦闘の構えを取る。目の前の相手はふざけているような言動をしているが、油断は出来ない。
「そうそう、そうこなくっちゃッスよ~」
影がニヤリと不敵な笑みを浮かべたと同時に踏み切った。
キィン、キィンと刃同士のぶつかる音が辺りに響く。
より多くの手数で攻めてみるものの、相手の方は無駄の無い動きで受け流し、そして一撃一撃を確実に与えていった。
影とは言ったものの、実力自体は本体であるエル以上の物だという事を打ち合っていく中で悟った。
「くっ!」
「甘いッスよ!」
防戦一方なこの戦況を仕切り直すために距離を取らねば。
そう思い、守りの体勢を取ろうとしたまさにその隙を突いた一撃で胸当てを破壊され、更に鳩尾へ一撃が入った。
その衝撃に息が詰まり、そのまま雪に崩れ落ちた。
「ゲホッ、っぐ……」
ダメージの蓄積もあってか、起き上がれない。深呼吸しようにも上手く息が吸えない。
それでも何とか起き上がろうともがいていると、すぐ近くに影が立った。
「アンタみたいな弱い奴がオレの本体?とんだギャグッスね!お前なんかが誰かを守れる無いじゃないッスか」
影の表情は分からない。だが、嘲笑の念だけは伝わっていた。
(そうだ……俺は、弱い)
「アンタが誰かを、何かを守ろうだなんて百年早いんスよぉ!!」
(そうだ……いつもいつも、助けられてばかりで……まだ、誰も……)
「見てみろッス!アンタはまたこの山を、オレの山を戦場としてるんスよ」
(今、何て言った?……オレの、山?この人は、この山の人?)
(確かにこの人は俺の影だ。でも違う)
(この山で生まれて育って色んな事見て知って覚えてきたのは俺だ)
(「オレ」じゃない、「俺」だべ)
(守れてねなら、せめて、今からでも……わがこの国を、この山を……っ!!!)
「だからさっさと、オレの山で有難く殺―――
「すぁっしねえええええええええええええ!!!!!」
影の言葉を遮り、突然膝をついていたエルが天に向かって吼えた。
その怒号に空気はビリビリと震え、その凄まじさは影が目を丸くして思わず雪崩の心配をする程の勢いであった。
「何が、何が「オレの山」だ……もつけでね……」
そんな影の様子など意に介する事無く、ゆっくり立ち上がるエルから聞こえてくる声は低く、そして口調からいつもの特徴的な語尾も消えていた。
「ここは……この山は、わの、わんどの山だ……影なんかに、おめさなんかに、荒らさせねえ……!」
「おどもおがもあんこたずも、じさまやばさま、集落のみんな全員、わが守らぁ!!」
完全に立ち上がり、影に向かって一気に啖呵を切ったエルの瞳に迷いはもう無かった。
「大人しく死んどけば良いものを……だからアンタみたいな馬鹿は嫌いなんスよぉ!!!」
チッと大きく舌打ちをした後、影も同じように怒号を響かせた。
「トゥルム!!」
同じ声が同じ相棒の名を叫び、隣に呼びつける。
相棒の方も興奮しきっており、その様子を見て互いに最後の一撃に賭けていることが伝わった。
同じ姿の者が2人、雪を踏みしめて目を閉じ、出せる限りの力の全てを刃に込める。
同じ動作で同じように深呼吸をし、全く同じ構えを取る。
「ウウウオオオオオアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!」
咆哮と共に赤と橙の視線が、青と緑の刃が交わった。
・
・
・
エルは、エル達は雪の上に横たわっていた。空を見つめながら耳を澄ますと山を登ってくる足音が微かに聞こえた。
「……なあ」
「あ?」
エルの刃が急所を貫いたらしく、影の負傷具合はエル以上だった。もう立ち上がる事は無理であろう。
「おめが何処から来たのか知らね。でも、おめが本当さわだったきや、おめのトゥルムがいるようにそこにはおめの山や家族がいて、おめの仲間達がいるはずだべ」
「……」
「だから、そっちの山や家族や仲間達を守ってけれ。な?」
「……やっぱ、おめは馬鹿だずなぁ……」
空を見つめながら語りかけていたエルの言葉が終わると、それまでずっと黙っていた影は言い切らない内に事切れて消滅した。
その声は今まで聞いてきた中で一番穏やかで、雪の上に大の字になったまま安心したように目を閉じた。
・スーデル:影
・反転戦って事で所謂、俺俺SS。
・「何弁?」「津軽弁です」「シンオウなのに?」「いい翻訳サイトが見つかりませんでした」
・まじで痛み出す5秒前