あんころもち

【 ビーカーとカクテルグラスで糸無し電話 】



『御劔慈恩、死亡』
表向きの所長室で1人黙々と意味の無い会議の書類を片付けている時、頭の中に聞こえた名前は覚えのある名前だった。
先日出会い、消えたデータの補完用としていた新しい試験体の名前だ。
副作用として幻覚作用を起こす薬を服用させていたそいつは、案の定薬物中毒に陥っていた。
その時点で薬は失敗作で、中毒者に用は無い。だから今日、手切れとして代理人から最後の薬を渡す手はずになっていた。
だが死亡とは一体どうしたものか。あの薬は一度に多量摂取しない限り、致死性は無い物だ。
そしてこの時間であれば丁度待ち合わせ場所にいる筈だ。
(まさか……?)
1つの可能性を思い出して携帯を取り出し、アドレス帳を開くと1人の名前を選ぶ。コール音が2,3回繰り返されると通話が始まった。
「はいもしもし?」
聞こえてきたのは酷くゆったりとした男の声だ。雑音が酷く、どうやら喧騒の中にいるらしい。
「俺だ。何ださっきのアナウンスは。どうなっている?」
「ああ、僕も驚きましたよー。彼、線路に転落だそうですよ」
「ふざけるな。誰が殺せと言った。俺は『消せ』と言った筈だ」
その口調で全てを悟った。全く余計な事をしてくれたものだ。込み上げる苛立ちをそのまま言葉にした。
「……あー?お前の作ってる薬だったらまあ大丈夫なんじゃねぇの?」
「あんな失敗作、すぐに薬物反応に引っかかる」
「え、何?失敗作なんか飲ませてたの?かわいそ〜」
事実をそのまま口にすると、通話口の向こう側からゲラゲラと笑い声が聞こえた。
「ふざけるな。余計な事しやがって」
「ヒヒヒ、いたいけなセイショーネンのお願いを聞いてやったんだぜぇ?感謝されたい位だっつうの」
こいつが幾ら罪を重ねようが知った事ではない。だからこそ、自身の意思に反する事が許せないのだ。
「依頼の一つも満足にこなせない癖に何言ってやがる」
「まあまあそう怒るなよぉ」
率直に言葉をぶつけると今までとは違う声色が返ってきた。
「それはそうと、そろそろ例の用意出来そうだぜ?」
「それか……それに関しては遅すぎるくらいだ」
「まあそう言うなって」
その内容は、これまでも何度か聞いた話だった。どうやら俺の実験にはうってつけらしい試験体らしいが逃げられたとか何とか。
それから二、三言話してから通話を切ると、椅子にドカリと座り込んだ。
苛立ちを紛らわせるためにズボンのポケットから煙草を取り出すと火を着けて一服。
深い溜息と共に紫煙を吐き出して気持ちを落ち着かせる。
「……駅、か……」
(これの後始末にあいつは駆り出されているのだろうか)
ぼんやりとした頭が思考対象を変えていた事に気付きハッとする。
何故そうなったのか理由は分からないが、思考をまるごと煙草と一緒に揉み消した。



電話が鳴るまであと数刻


・当事者の癖に罪悪感ゼロ。
・何ていうか本当に申し訳ない。
・赤城さんが駅に来なかったのは仕事の会議があったから。
・最後の方がほんのり…ほんのり……