あんころもち

【 とびだすなかみ 】



 何か違和感を覚えたのはこの階層に辿りついてから数十分経った頃の事だ。
敵らしい敵にも遭遇せず、かといって次の階へと至る扉も見つからずに似たような道をコブ達はぐるぐると歩き回っている。それは集団行動が功を奏していると言うより、何処かで待ち構えているのではないかと言う予感の方が強かった。
 あまりにも変化の無さすぎる周囲の空気に違和感を感じ、スンと、鼻で空気を吸えば淡水ではなく濃い潮の香りが混ざっている事に気付いた。
匂いだけではない。川の流れる音に漣の音が折り重なってきていた。
「波か。ふむ――此処はいつから海になったんだろうね」
「そんな事言ってる場合か!」
 川から水が溢れ、足首まで水が浸かった辺りでコブが苦し紛れに叩いた軽口にロニセラがツッコミを入れた瞬間、一際大きな波が起こった。日々の生活に疲れた者たちが思い描く、晴れ渡る大空の下で輝く常夏の海でいかにもサーファーが波乗りに興じていそうなその大波から――
「はっはーーー!!!!!!」
 本当にサーファーが現れた。向かってくる大波を、ネヴァンジェートやロニセラは方々に避けられたが足の遅いコブはその波に飲まれた。
水に飲まれて両手足をばたつかせてるのはこれで何度目か、とにかく水上を目指す。体外に出ていた相棒は身体を伸ばし、水上にその先端部分が到達した。
ややあってから何かに掴まったらしく、今度は勢いよく身体を縮め始めると、滑車さながらにコブの身体も水上へと引っ張り上げられていった。
「ブハッ!!」
 水中でバタついた際に海水を飲んでしまったらしく、鼻や喉がジンジンと痛む。相棒は手近な木に掴まっていたらしく、ネヴァンジェート達もそのすぐ近くに居た。
「や、やあ。無事だったかい?」
「そっくりそのままお前に返すよ」
 ゲホッと噎せながら二人に声を掛ける。コブが沈んでいる間に身体のサイズを変えたらしいロニセラが呆れたような表情で返せば、ネヴァンジェートがサーファーの方へと視線をやりながら口を開いた。
「やれやれ。どうやら、アレがここの『死神』らしいねえ」
 この辺り一面を川から海原へと変えるだけの力を持っている事を鑑みるに、彼女の意見には同意だった。となれば今まで以上に一筋縄ではいかない事になる。
「おいそこのお前ら!」
 どうした物かと思考し始めた所で、死神がビシッと指を伸ばしながらこちらに話し掛けてきた。
「この海に愛されてるのは俺だけ! この海に存在していいのも俺だけだ!」
 死神は流石慣れた様子でサーフボードの上で器用に仁王立ちし、両手を広げ朗々と自論を展開し始めた。
「――つまり?」
「海の藻屑になりやがれ!!!!」
「何処のガキ大将だい!?」
 彼の主張が終わるが早いかコブのツッコミが終わるが早いか、再び生み出された高波が襲いかかってくる。同じ手は食うまいと、相棒の伸縮に身を任せて回避成功した所で、波際から刃が飛んできた。
「アワワワ……!」
「全く、本当に忌々しいね!!」
 何とか身を屈めて避けるも、第二、第三と幾つもの刃が波から放たれた。軽い身のこなしで水の刃を避けるネヴァンジェートが魔術を放ち、それを援護するようにロニセラが力の込められた追い風を立てて応戦した。
 コブも二人が攻撃出来る隙を作るために相棒を伸ばして死神を牽制するも、ハンマーに何度も払い落とされてしまった。一向に決め手の入らない応酬が何度も続き、いたずらに体力と時間が消費されていく。
 策を練ろうと下がったその時、海面に足を取られてバランスを崩してしまった。
「しまっ――!」
「そこだぁ!!!」
 攻める側にとって格好のチャンスを見逃される訳もなく、死神のハンマーが見事なまでに鳩尾へクリーンヒットし、そのまま吹き飛ばされた。勢いもそのままに太い樹の幹に背中が叩きつけられ、目の奥がチカチカと瞬く。
カハッと詰まった息を吐き出し、そのままズルリとまだ水に埋もれきっていない地面に横たわりながら視線の先にある戦況を見た。
 離れれば水の刃が、近づけば重厚なハンマーが襲い掛かってくる。二人の攻撃は時折当たってはいるが、決定打とは言えない。だが確実にダメージは蓄積されている筈なのだ。痛みで鈍る頭を回転させ、打開策を考え始めたその時、ふと過去の記憶が蘇った。
 この身体になった頃、自分の身体に寄生するこの白い生き物についてのレポートを読んだ事がある。その中の、生態における解説を思い出したのだ。

『――は、本体が力尽きた場合、体内から分離して死因となった物を新たな寄生先にすべく襲い掛かる』

 その説を用いれば打開策としては充分だろう。しかし内臓機能に留まらず身体を、命を張った賭けになる。それでも今ここで選べる道は二つしか用意されていない。
このまま全滅するか或いは極々僅かな望みに託すこと。選ぶならば当然後者だ。
「タダで死ぬのは、嫌だもんなあ」
 自嘲気味に一人ごちながら、木の幹を支えにゆっくりと立ち上がる。
「それで、『君』はいつまでそこにいるつもりだい?やられたらやり返る性質なんだろう?」
 最初に吹っ飛ばされた時、代わりに受け身を取るくらいの仕事をしてくれても良かった筈のそれに語り掛ける。
「だったらその性質、存分に奮ったらいい――仕事をしろよ、『化け物』」
 普段の接し方とは真逆の、冷たく淡々としたその呼び掛けに答えるように長く白い、相棒がズルリと体外に出てきた。
日頃との気迫の違いを察したらしい相棒は無駄な動きをする事なく、二人の仲間の元へ辿りつくように木の枝を掴み、その身体を持ち上げた。

「おや、生きてたのかい?」
 相棒に連れられ、ストンと二人の元に降り立った時、コブの表情は普段と変わらない笑みを口元に浮かべている。その様子を見てか、元より心配していなかったか、ネヴァンジェートがほんの細やかな冗談を言う。
「まあ、ね。それより、やってみたい事があるんだ」
「上手くいくのか? それ」
 ロニセラの差し出した花粉団子を一口で食べ、口元を袖で拭いながら告げたコブの提案に怪訝な表情になった彼の疑問は至極真っ当だ。攻めのチャンスは少ないし、死神とコブでは力の差があるのは一目瞭然である。
「うーん、何もせずやられるよりは、ってトコロかな」
「大丈夫なのかよ」
 成功率について嘘を言っても仕方がないと、正直に答えた。曖昧なその返答にもう一度疑問符が投げかけられる。
「ダメだったらまたその時は君たちの判断に任せるしかないね。さて、本題だ」
 死神は完全に猪突猛進と言う訳でもないらしく、少し距離を置いた所からこちらの出方を窺っていた。彼が待ってくれている間にと、先程立案した作戦の説明を始める。
「いや何、簡単な話でね。二人で協力して、毒でも麻痺でも何なら一瞬怯ませてくれるだけで良い。そしたら僕と交代で下がってくれないかな」
「それで? アタシ達が後退した後、お前はどうするんだい?」
「僕、というか布くんが残りの仕事を引き受けるよ」
 作戦と言うにはあまりにも簡素な提案に片眉を上げたネヴァンジェートの問いに、相棒を指しながら明るい調子で答えた。
「――分かった。この際、仕方ないだろう」
「理解して貰えて助かるよ。――それじゃあ、始めよう」
 ヤレヤレと溜息を吐いた彼女の了承と、ロニセラが肯定の頷きをするとニコッと口元の笑みを更に深めた。二人の了承に礼を述べ両手を一度パンッと鳴らして作戦開始を促すと、それぞれが行動を開始した。
 向かっていく二人を牽制するように、死神の起こす波から何度目かの水刃が飛んできた。その軌道を見切ったネヴァンジェートの手から魔術が放たれると、その閃光は死神のサーフボードへと命中した。
 その途端、死神が初めてガクリとバランスを崩した。彼女の放った束縛系魔術が見事に作用したのだろう。舌打ちをする死神の表情から察するに、あの様子ならばもう水は飛んでこないと見受けられる。この隙を見逃せる訳も無く、今度はロニセラが行動を起こした。
 死神の意識がネヴァンジェートの方へ向かっている隙に体勢を整え、彼が持ち直す前に痺れ粉をぶつける事に成功した。
「やる事はやった。あとはアンタの番だよ」
「うん。二人とも助かったよ」
 (あとはせめて、ダンジョンの外に葬ってくれ――) とは言わず、下がってきた二人とは逆に前線へと動き出した。迫りくるハンマーを左に飛んで辛うじて避ける。それと同時に、使い手の元へ戻っていくそれを布くんに掴ませた。
まるで黄色い手と白い手が握手しているようにも見えるその状態のまま、ハンマーと共に死神のすぐ目の前まで一気に近づく。
「失せろ!!」
 立て続けに攻撃手段や動きに制限を付けられた事で、苛立ちが頂点に達した死神が渾身の力で振るったもう一方のハンマーが鈍い音と共に深々とコブの腹にめり込む。体内の奥から込み上げてくる吐き気に抗わず咳き込むと、赤紫の血がゴポリと零れ出た。
 吐血出来るくらいに内臓損傷するだけの力を、この身体の臓器はまだ持っていたらしい。自身の腹に食い込むそれを掴み、赤紫に濡れた唇はニィと三日月型に歪んだ。
「ああそうか。君が『コレ』を引き取ってくれるのか」
 長い前髪に隠された瞳をギラギラさせ、血を吐いた際に喉を痛めたらしい掠れた声で話すその調子は、興奮しているようにも快哉に打ち震えているようにも聞こえた。
「これで、僕は――自由の身だ」
 コブの意識はそこで途切れた。ハンマーを掴んだままガクリと項垂れ、コブは動かなくなった。
「っ、おっさん!」
 動かなくなったコブを見たロニセラが名を叫ぶと、突如、ブチュリと気味の悪い粘着音と共にその白い体がコブから分離した。ハンマーを掴んでいた相棒という支えを失ったコブの身体と共に、ベシャリと地に落ちる。
 動かない寄生先の事など意に介することもなく、まるで蛇かウツボのようにのたうち回ってたその白い生き物は突然ブルブルと震え出し、死神めがけて凄まじい勢いで飛び出していった。
 「なっ――!?」
 想定外の動きを見せたそれは先程までの宿主が受けたのと同じように、驚愕する死神の腹部に白い体をめり込ませると、勢いそのままに彼と共に潮の中へザブンと落ちていった。中で死神が抵抗しているらしく、水面はザブザブと大きく飛沫を上げていたが段々と立ち上がる飛沫が弱まっていく。
 遂に波以外の動きが無くなると、ネヴァンジェートたちの足を浸していた潮が波音を立てて引いていき始め、川辺の土が見え始めてきた。死神と共に現れたそれが無くなったという事は、つまり彼が消滅したという事だろうか。
 ザアザアと激しい波音がやがて消え、本来の川の水面が現れたその時、そこには動かなくなった長く白い生き物だけがプカリと浮かんでいた。

・今回のやりたかった事:ナマコブシ初お披露目動画の対戦カードをやりたかった。
・コブの特性は飛び出す中身。死神さんの特性は勝手に根性をイメージしてました。
・全部書き終わってから「水で出来たハンマーを掴む描写はセーフなのか…?」と思いました。
・そんなわけで暫く布くんがログアウトで入院します。

◎お借りしました:ネヴァンジェートさん(@来宮涼一さん)・ロニセラさん(@雪水堵さん)