あんころもち

【 揺れて堕ちて上がって 】



 時折吹きすさぶ風を諸共せず砂漠の中に置かれた大きな物体を前に、コブはフーッと大きく息を吐いた。目の前に聳え立っているのはタロンのリーダーが趣味で作った基地。時折吹きすさぶ風に煽られながらも何とか歩みを進め、漸く辿り着いたこの基地は確か当人は11922960号と言っていただろうか。
入口らしい扉を見つけ、その前に立つも正直あまり良い予感はしない。ここへ来た理由も別に自分の意思と言う訳ではなく、暇を持て余したメンバーに「面白そうな物があったら持って来い」と無茶振りをされたからに過ぎない。
要はいつもの使い走りだ。こういう時は大体、何かしらのハプニングに巻き込まれる事をコブはその身を以て知っていた。
だが入らなければ始まらないし終わらないと気を持ち直すように咳払いを一つし、長く伸ばした前髪を揺らす乾いた風に背中を押されるようにその扉を開けた。
 中は薄暗く、少しばかりヒヤリとしていて涼しかった。姿を出していた布くんもウネウネと動きながら周囲を探索を始めていた。遠くに人の気配は感じるが、周囲には誰も居ないようである。
 廊下の壁伝いを暫く歩いていると大きな機械のある部屋に到着した。それはコブの居た世界でもこの世界に飛ばされてからも、見た事の無い代物だったそれを感嘆の息を漏らしながら見上げる。
 「布くん、これ何だろうねえ?」
 相棒に話しかけながら触れる事はせず、その周囲を歩き全体を見て回る。
工学に造詣が深い訳ではないので動力源やどうすれば起動するのかも怪しい所ではあるが、何か巨大なエネルギーが作用するのだろうかと言う検討には至った。
兎にも角にも、触らぬ神には祟り無しという判断は間違っていないだろう。この機械に迂闊に触れてしまいそうな相棒を制しながらその部屋を後にした。
 次に訪れたのは書斎の様な部屋で、そこには埃を被った書物が沢山置かれていた。その他に置かれている家具から察するに誰かが私室を兼ねて使っていたのだろうか。
いずれにせよ積もっている埃の厚さから見て、この部屋の主が居なくなってそれなりの日数が経っているだろう。
部屋の片隅には歩行補助の杖が一本、壁に立てかけられており、家具たちと同じように埃を被った老眼鏡も置かれていた。部屋の主は老人だったらしい。
机の上に放置されていた数冊を手に取り、すぐ近くに置かれていた椅子に積もっていた埃を床に落としてそこに腰を掛けた。
表紙を開き、数ページ程パラパラと捲る。内容からしてこの世界の歴史書のようであった。
他の本を開いてみると水質研究や生態学の学術書と、どれもかなり読み込まれており、所々に書き込みも加えられている。
机の上を見ると主が纏めたのであろう手書きのレポートの束を見つけた。表紙には『この世界について』との一文が走り書きで記されていているだけで、書き手の正体は分からなかった。
学士の書いた物なら此処よりもNIVに保管されている方が自然な気もするが、此処にあると言う事はコブと同じように異世界からやってきた旅人だったのか。
 フム、と小さく鼻を鳴らしてその表紙を捲ろうとした瞬間、突然ゴゴゴゴゴと地響きが始まった。
 「な、何だ!?」
地震が起きているように部屋中が揺れ始める。使い走りで訪れた基地で本棚に押しつぶされて、なんて笑えない結末だ。
急いで部屋の外に出ようとした瞬間、硬くて重い何かがコブの後頭部に落下してきた。重量と落下速度が生み出したその衝撃に耐え切れず、その場に倒れ込んだ。
嫌な予感が的中してしまった事への苛立ちや早く避難しなければと言う焦燥はあるが、視界は白黒でチカチカし、身体は動かず意識が段々と遠退いていく。
 (ああもう、最悪だ――)
意識が途切れる瞬間、遠くに水の音が聞こえた気がした。



 「早く!早く走って!!」
 マントをはためかせ、広野を女が走る。右手には幼い息子の手を握りしめ、広野の先に鬱蒼と広がる森を目指して走っていた。
幼い息子は疲労で息は上がり切っているが脚を動かし、母から離れないように必死で走った。
彼女たちの背中を追い駆けてくる男たちは皆、兵士だ。彼女たちを捕縛、或いは『処罰』するために。
訓練された兵士と一般人でしかない母子では力の差は歴然だ。それでも生きるために姿を隠しやすい森を目指して母親は走っていた。
 「あっ!」
 息子が小さく声を上げると同時に母の手を離した。脚が縺れて躓いてしまったのだ。
 「立って、早く!走るの!!」
再び息子の手を取った母は必死に急かしたが、転んだ際に足を挫いてしまったらしい息子は片足を引き摺るように早歩きさえ儘ならなかった。
逃走する自分達への怒号を上げる兵士達はもうすぐそこまで来ている。近付いてくる男達と歩くのがやっとの息子、即座の決断しか許されない状況だった。
 「っ――!!」
 パッと手を放し、息子の身体を後ろの男達の方へドンと追いやると息子は地面に仰向けで倒れた。
その姿を見るや母親は踵を返して再び走り出した。母が選んだのは自らの命と自由だったのだ。
 「待って!母さん!!」
起き上がり、待って、と繰り返し叫ぶも母は振り返らなかった。
後ろからやってきた大の男たちの腕に捕まりながらも、息子は何度も母を呼び、助けてと叫んだ。
 「っ、何で――!」
遠くなる背中に向かって叫んだ言葉が母の耳に届いたのかは分からなかった。



 (どうして―― )
 ぼんやりと手を伸ばした状態で目を覚ました時、そこは一面の水面、ではなく水の中だった。その光景を認識した瞬間、一気に脳が働き始めた。
ゴボッと空気が出ていくのを見て慌てて口を押え、周囲を見回す。幸いにも敵影らしき物は見当たらないが、助けになりそうな物も無かった。
だが、明るさから察するに深度はそれ程でも無いはずだ。とにかく上を目指そうと、水をタップリと吸い込んだ服に手足を取られながらも覚束ない動きで平泳ぎをイメージして水を掻く。
先程空気を吐いた時、水を少し飲んでしまったが潮水ではなく淡水だった。と言う事は海よりは陸が近いだろう
 「ブハッ!」
 ぜいぜいと肩で息をしながら腕に力を込め、川岸に這い蹲った。後ろを振り返ってみるが水面にも敵らしい気配は無かった。
地面に腰を下ろし、袖口や裾の水を絞りながらフーッと深い安堵の溜息を一つしていると基地が揺れ始めた頃から体内に戻っていた相棒が姿を見せた。
 「全く君は肝心な時に…」
小言の一つ二つでも言ってやろうかと口を開くが、水面を興味津々に突き始めた相棒を見てその気が失せた。これではきっと無駄骨であろう。
服と同じくらいビショビショに濡れた頭を二、三度振って水気を飛ばす。水滴が相棒の方に飛んだ気もするが無視した。
それよりも気にしなければならないのは自分が置かれている現状だ。元々は基地だった筈の此処はダンジョンと化している。
 先程の地震は恐らくダンジョン化に伴う現象だったのだろう。自分の運の無さに、嗚呼と頭を抱えたくなった。
ただでさえ不本意だったのにダンジョン化に巻き込まれて頭を打って気絶し、挙句単身でのダンジョン入りなんてまさに自殺行為だ。
しかしグズグズしても居られなかった。進まねばいつ敵が現れるとも限らないし、それに何処かに協力者が居るはずだ。その者に会えばこのダンジョンから抜け出せる。
ひとまずの目標は出来た。あとは行動するだけだと気を落ち着かせるように深呼吸した。
 「それじゃあ頼んだよ、布くん」
階層を抜ける扉を探すため、川沿いを歩き出しながら掛けた言葉を相棒が理解したかは微妙な所だった。

・突然乱入するモブメンバーや過去話。
・お母さんが逃げ切れたかどうか、コブには分からない。