【 洗い浚い総浚い 】
「スフィア、ちょっと良いか?」
イカルスが相棒に声を掛けたのは互いの寝支度が済んだ夜だった。
別に怖気づいていた訳ではないが、イカルスが濡れ鼠となって帰宅してからは互いに家事や店の片付けの手伝いなどで慌ただしく、落ち着いて話せる時間が今になってしまったのだ。
「……何ですか?」
黒いベッドカバーに覆われたセミダブルのベッドの上で、お互い向かい合って座る。シン、とした部屋の空気はどちらかが破らなければならない。
話す事は決まっている。ならば口火を切るのは自分である事をイカルスは自覚している。
「お前に謝らなきゃならねえ事がある。その──この前は悪かった」
謝罪の言葉と共に頭を下げた。目の前にテーブルがあったら額が激突していたかもしれないような勢いだった。
建国祭でツインソウルをしたあの時を、ハルトから言われた言葉を思い返しながら自身の中に抱えていた物を全て吐き出した。故郷での彼女を目の当たりにして取り乱した自分の態度や勝手に気まずいと思い込んで避けるようになった事、何もかも洗いざらい彼女に晒した。
頭を下げているイカルスにその表情は見えなかったが、スフィアはただ黙って聞いていた。
「お前がオレの事をどう思おうと──お前はオレの相棒で、家族の1人だ」
「僕は…、帰るんです…」
顔を上げたイカルスの目には、スフィアの瞳が一瞬揺らいだように見えた。彼女の口から絞りだすように出た言葉は、やはり帰心の意思だった。
別に彼女の意思を変えたかったわけではない。だからそれでも問題は無い。
「ああ、分かった」
・
腕を枕にして、照明の消えた天井を見つめながらイカルスは先程の会話を思い返していた。
ただの自己満足だと言われるかもしれない。そんな気はしている。だけどこれで良かった。そう思ってはいるが、この選択に自信があるかと聞かれたら首を横に振るだろう。
きっとスフィアの中にはまだ、あの時も今もオレに見えていない何かがある。そんなオレに何か出来る事が残っているとしたらそれは待つことくらいだ。
アイツが話した時、オレがどんな反応するかはその時にならないと分からない。でも、その時まで待つことならいくらでも出来る。
あとはもう、なるようにしかならないしその時にならなきゃ考えようがない。
誰にだって限界はある。オレがハルトにぶちまけたように、いつかきっとスフィアにもそういう時が訪れるだろう。
だからその時が来たら、話してほしい。そう思いながら目を閉じた。
・
──目の前でガキの頃のオレが座り込んで泣いている。腕や膝小僧に擦り傷を作り、右の頬に作られた切り傷から血を流して泣いている。
これが夢である事も、夢の内容もすぐに分かった。視線を少し動かすと、そこにもう一人の子ども──オレの友達が大柄な異界人の男に襲われていた。
この状況の原因はこの男で、オレの傷を作ったのはこの男の爪だ。
友達が偶然、男が何かしているのを目撃したようなのだがどうもそれが男にとって都合が悪かったらしい。黙らせようと追い回されている内にオレと出くわし、そのままオレまで追われる羽目になった。そしてこの袋小路に追いつめられたのだ。
この頃にのめり込んでいたヒーローのように、あまり気の強いタイプではない友達の前に立ち、落ちていたパイプを構えはしたが当然大人に敵う訳もなかった。
あっと言う間にボコボコにされ、成す術が無いと泣きだしたのが目の前にいるこのオレだ。
(それでこの後は確か──)
友達を守りたい一心だった。地面に転がっていた空き缶を思い切り投げつけたのだ。
その缶は大きな爪を振り翳した男の頭に見事にヒットした。
「B*繝愆m玄乂!!」
男は邪魔された怒りに任せて叫んでいる。この時何と言っていたのかは今でも分からないが、恐らくはぶっ殺すとか何とかそんな所だろう。
何かを叫ぶ声に怯え、縮こまってしまったオレに向かって再び爪が振り下ろされる。しかしそれがオレに届く事は無いのをオレは知っている。
キィン、と爪の弾かれる音に顔を上げたガキのオレの目の前に広がるのはマントを翻す背中。駆けつけた自衛軍の隊員だった。
この時のオレにはそれがヒーローに思えたんだ。誰かを守り戦うこの背中を、オレは何よりも格好いいと思ったんだ。
(そうだ。だからオレはこの背中に追いつきたくて──)
思わずその背中に手を伸ばす。だけど手が届く事はなく、段々と強い光に包まれていった。
オレの夢は、いつもそこで終わる。
あの背中にはまだ遠いとでも言いたげに。
・イカルスがスフィアちゃんと向き合うと決めたお話し。
~自衛軍に入ろうと思ったキッカケの過去を添えて~
◎お借りしました:スフィアちゃん(@虹さん)