【 帰心矢の如し 】
国中を湧かしている建国祭は二日目の仮面舞踏会を終えた。
祭りの興奮を引きずった市民たちは会場から酒場へと場所を変え、賑やかに酒を酌み交わしている。男も女も関係なく、銘々に浮かれ、はしゃぎ、そして笑っている。
そんな空気に背を向け、イカルスはカウンターの片隅に独り陣取って座っていた。
年に一度袖を通すかどうかといった着慣れない燕尾服を着崩し、手に持ったグラスを傾けては中の琥珀色をちびちびと飲み進めていく。
慣れないウイスキーは薬品のような香りがしたが、今はとにかく度数の高い酒が飲みたかった。心中にモヤモヤと立ち込めるこの負の感情を紛らわせてくれと縋るように、また一度喉を大きく鳴らした。
深い溜息と共に天を仰ぐと、木造の天井とインテリアを兼ねた換気用のファンの羽根がぐるりぐるりと回っている。
まるで今の思考回路とリンクしているかのように回り続けるそれの様子をぼんやりと見つめながら、今日の記憶を手繰り始めた。
・
祭りの騒ぎに紛れて悪人たちが動き出すのは最早セオリーだ。自分たちを囲む反逆者たちを一周見回し、ふんと鼻を鳴らす。
特別脅威になりそうな者がいるようには見えなかったが、二人でこの人数は少々手間にも思えた。
チラリと相棒を見やればまさに闘志のスイッチを入れた所だった。当人がやる気満々なのであれば選ぶ戦法はただ一つ。
「さっさと片付けんぞ、スフィア!」
「しゃーねえですね」
差し出した手を彼女が取ると、彼女の掌の温かさと共に広い草原を駆けるような彼女の魔力が流れてくる。
ペアが変わってからのツインソウルが初めてだった事に気付いた頃、腕や肩口にカーッと熱が籠り始めた。どうやら今度のは外見の変化が大きいらしい事を理解する。
その熱に比例するように心臓も早鐘を打ち始める。心の昂りと熱気が最高潮に達したその時、カッと目を開く。
開けた視界に一房の白い前髪がヒラリと舞い、熱を持った腕を見れば亜麻色の瘤が大きく盛り上がっていた。わざわざ見たりしないが恐らく肩口も同様なのだろう。
過去と比べて同一なのは精々、ノコギリ刃へと変化した武器と羽根状のオーラを纏っているくらいだ。一口にツインソウルと言えども、相棒が変わればその変化だって以前とイコールではない。
自分と同じように身の変化を遂げた相棒を一瞥し、武器を構える。切っ先は眼前の反逆者達、ツインソウルのこけら落としには持って来いだ。
「っしゃあ行くぞ!!」
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初めてにしては悪くない。イカルスがそう感じたのは二人の相手をまとめて倒した時だった。お互いに攻撃型ながらも相棒をサポートする立ち回りがこれまでと遜色なく出来ている。
経験を積み重ねていけば、この力はもっと強くなる。そう確信したのは最後の一人に最後の一撃を見舞った時だった。振り回していた剣を一方の刃で叩き折り、もう一方の柄頭で側頭部を横殴りする。
意識を飛ばした相手が地に倒れたその時、頭の中に一閃の光が走った。その光が何であるかはすぐに分かったが、すっかり忘れていたそれによろめきそうになるのを堪えて目を閉じた。
その一閃は、ツインソウルした相手の記憶や心だ。前の契約者と行った時を思い出すと、心なしか眉間の皺が深くなった。
真っ暗になっていた視界を光が照らしていく。たちまち見えてきたのは青々と生い茂る木々、その隙間から見える青空。これが、相棒が帰りたいと切に願う世界なのはすぐに分かった。
そして目の前に見えているのは一組の家族、母親と二人の兄、そしてスフィアだ。語り合い、じゃれ合うごく普通の家族の光景がそこにはあった。
(これがアイツの世界か)
安全が保障されている生活ではなかったと言う。それでも此処が彼女の世界なのだ。相棒の心象風景を初めて目の当たりにし、グッと身の引き締まる思いがした。
そこからは、映像が早送りされるように目まぐるしく場面が展開されていった。だがそれが重なるにつれて雰囲気が、日が昇って沈んでいくように段々と不穏な気配を纏い始めていく。
イカルスは自分がまだ知らない、彼女から聞かされていない真実があった事を突きつけられようとしている事に気付いていた。
そして次々に映し出されていくその情景を見た時、心臓が何者かに鷲掴みにされたような気がした。
「なんだよ、これ」
その一言が漏れ出た瞬間、彼女の世界は消え目の前にはつい先ほど自身が打ち倒した相手の背中と、ツインソウルを解除したスフィアがそこにいた。自分のと同じ模様の襟がシュルリと消え、衣服もいつも通りに戻っていく。
イカルスの声が耳に届いたらしく、こちらに視線を寄越してきた。しかし、彼女は口を閉ざした。
「お前いつも帰りたいって言ってたよな」
なるべく平静を保とうとしたが、上手く出来ていないらしく声が若干震えていた。だがそれでも、溢れ出てくる言葉をせき止める事が出来なかった。
「だってこれじゃあ、お前の家族はもう――」
「死んでましたか」
漸く開いた口から出たその声は酷く落ち着いていた。さも分かりきっている事を答えるように、淡々と。
こちらを見るグレーの瞳はあまりに真っ直ぐで、しかしその奥に秘めている感情がイカルスには見えなかった。平然とした表情のままでいる彼女が、イカルスには分からなかった。
彼は折々で幾度と聞いてきたのだ。彼女が家族の元に帰りたいという願いを。それを理解した上でイカルスは契約者として出来る限りサポートするつもりでいた。
だからこそ、イカルスは目を疑ったのだ。たった今見てきた、その"家族"に寄り添う彼女の姿に。
「お前は、それで良いのかよ!」
落ち着き払ったスフィアとは真逆に、イカルスは冷静ではいられなかった。鷲掴みにされたままの心臓を押さえるように拳を握り、声を絞り出す。
「当たり前じゃないですか。そこが僕の居場所なんですから」
何処までも対照的な彼女の淡とした声に、バサリと斬り捨てられた気がした。握っていた筈の拳は、いつの間にかダラリと下がっていた。
・
それからの二人は、舞踏会の最中もその行き帰りもお互いに会話など出来る雰囲気ではなかった。特別お喋りな気質ではない二人だが、無言で重い空気のまま歩くのは初めての事だ。
自宅兼店舗の菓子屋の看板が見え、その扉まではあと十数メートルといった所でイカルスは足を止めた。不意に停止した相棒の方へと振り返ったスフィアから僅かに視線を外し、口を開く。
「少し寄ってく所あるから先帰ってろ。アイツのベッド入れてもらって先に寝てろ。帰ってきたら勝手に部屋に運ぶ」
アイツ――エーリンには連絡を入れておくからと最後に付け足すと、一方的に話を切り上げるように彼女に背を向け、そのまま来た道を戻り始めた。
突き当りを曲がる直前、チラリと見えた彼女の表情はいつもと変わらないように見えた。いや、その表情から何かを読み取る事を本能的に避けたのだ。
そして現在、イカルスは一人酒に至っている。その背負った空気は背後のお祭り騒ぎから到底かけ離れたもので、誰も近寄ってこようとすらしない。
お前は、それで良いのかよ――グラスから手を離し、組んだ手を額に押し当てあの時口にした言葉を反芻させる。あの時イカルスが見たのは、これまでの人生で彼が経験した事のない悲痛な事態だった。
しかし、それをたった一度垣間見ただけで辛かっただろうなんて、無責任な慰めは出来なかった。自分が口賢しければきっと当たり障りなく話せた筈なのに。
見えた光景について問い詰めてしまったその時、自分の顔には感情の何もかもが映し出されていたのだろう。素知らぬ振りが出来るような器用さがあればきっと、今こうして独りで頭を抱える事も無かったのに。
目を閉じると、あの光景が蘇ってくる。意地っ張りな気質がある彼女の事だ。仮に戻れたとしてもきっと同じ日々を繰り返す。どれ程の朝と夜を過ごしても、きっと"家族"の元から離れる事はないのだろう。
家族の元に帰る――現に彼女は繰り返してきたのだ。だがイカルスとしてはそれを認める事は出来なかった。理由は分からない。ただ、心中に沸き立つ何かがそれを許そうとしないのだ。
だけど言えなかった。当たり前だと言い切った彼女に掛ける言葉が何一つとして出てこず、苦し紛れに会話を終わらせるしか出来なかった。その後も、そして今でも何を話せばいいのかさえイカルスには分からなくなっていた。
もっと上手くやれた筈なのにと、思い返す度に込み上げてくる後悔と自分の情けなさ、女々しさに溜息が抑えられない。
(何が手助けするだよ。ダッセェ……)
口に出せない代わりの、何度目かの溜息が酒場の喧騒に溶けて消えていった。
・スフィアちゃんの「帰りたい」の理由を垣間見てきたよ。
・ツインソウルしたけど気まずくなっちゃった回でした。
◎お借りしました:スフィアちゃん(@虹さん)