あんころもち

【 雨が降ったら地を固めに 】



 本日の仕事を終え、酒場への道を独りで歩いている。そう、独りだ。隣にいる筈の相棒は居ない。というよりも、ここ暫くは一緒に帰る回数が減っていた。代わりに一人で飲む回数が増えた。
 建国祭で初めてのツインソウルは問題なく発動する事が出来た。だがそれはあくまでも肉体面においての話で、精神面で言えば『最悪』だった。 ツインソウルとは、互いの魂が繋がり合う事で発動する術だ。そしてその時には互いの心の内が見える。七年もロートに居れば経験だってあるしそんな分かりきった事、とさえ思っていた。
 考えも想像もしていなかった故郷での相棒の姿を見た時、後ろから頭をガツンと殴られたような衝撃だった。しかし『最悪』だったのはそこではない。 問題はその後のオレ自身だ。自分が経験した事のない事を目の当たりにして、気の利く言葉の一つも言えなかった自分が、ヒトの過去を見て露骨に取り乱した自分の態度が許せなかった。
 でも何よりも許せなかったのは────

 突然、ドンッと何かにぶつかった衝撃が走った。前から二人組が歩いてきているのに気付くのが遅れ、その片割れと肩がぶつかってしまったのだ。
「っと、すんません」
 道の端を歩いていたが、大して広くない道を大の大人が並んで歩けば接触しても不思議ではない。とはいえ避けられなかったのもまた事実だからと謝罪すれば、ぶつかった方の男はチッと大きく舌打ちを一つすると、オレの胸倉を掴みあげる。体格差の都合で足が少し浮いてしまうのが憎らしい。
「何処見て歩いてんだよ、チビ!」
「……あ゙?」
 ぶつかった事への謝罪はするが罵っていいとは一言も言っていない。どうやらコイツの舌打ちはゴングの代わりだったらしい。


  ・


 (あー、降られたな。傘無えよクソが)
 地面に大の字になったまま雨が降り出し始めた空を見ていた。ここが人通りの少ない道で良かった。民間人はもとより隊の誰かに見られでもしたら面倒だ。
 さっきの連中──返り討ちにしたら逃げていったアイツらに殴られた頬はジリジリとした痛みを訴えていた。 殴り合いのケンカなんていうのはテンションが最底辺の時にやる物では無いとつくづく思う。勝敗に限らず疲れが優先されて起き上がる気力が奪われるからだ。
 この雨でどうせ濡れるのだから、誰も見てないし休憩がてらこのまま暗い空でも眺めていようか。そう思った矢先、空よりは低い位置から声が聞こえてきた。
「おっとすみません。小さすぎてうっかり踏んでしまうところでした」
「……うるせえよ」
 よりによってコイツと遭遇するとは思わなかった。はあと溜息を吐きながらムクリと体を起こし、そのままそこに座り込んだ。普段通りのオレなら間違いなく──誰がネズミサイズだ!──とコイツの言葉を釣銭無しの満額キッチリ支払って買い上げただろう。何か言ってやろうと口を開けてみるがいつものような言葉が出てこず、グッと口を噤んでしまう。
 こちらを見下ろすシニカルの色で塗られた瞳をジトリと見上げてから深呼吸すると、何故か自然と舌の上でずっと転がし続けていた言葉がポロリとこぼれた。
「お前さ、その…例え死んでてもその家族の傍に居たいって思ったことあるか?」
「……」
 長い沈黙が訪れ、シトシトと降る雨音だけがオレたちの鼓膜を震わせていた。オレを見下ろすハルトの表情は変わらない。
 同僚にも先輩にも聞くに聞けなかった問いを、何故コイツには出来たのか理由は分からない。やはり聞くべきでは無かったか。しかしそれでも、この男には問わなければならない気がしたのだ。
「………………ありますよ」
 ややあってからハルトは口を開く。
「イカルス、お前は家族を亡くしたことはないんですか?」
 逆に問い返されてしまった。両親も兄も、両方の祖父母も未だピンピンしていて親族の法事に出たのは片手で足りる程度。隊員の殉職や契約者を亡くし、悲嘆する奴も目にしてきた。それでも、オレにとって家族の死は決して近い物では無かった。
「無い」
「それは幸せなことですね」
 ハルトの一言は決して優しいものではなかったが、普段やり合ってる時の方がよっぽど皮肉で辛辣だ。余裕がないにしたってそのくらいの分別は付く。
「無いから、分からねえんだ」
「だからあの時も、分からねえって思っちまった。分からねえって、壁を作った」
 一つ、また一つと言葉がこぼれてくる。まるでそれを受け止めるように自然と広げた両手を見つめながら、あの時の光景を頭の中で再生させる。
「あいつを助けるって決めたのに。オレはそれが許せねえ」
 スフィアと契約する時、元の世界に戻れるよう手助けすると決めた。その癖して、向こう側でのアイツを見た時、死んだ家族の元に帰りたいと言うアイツのことが分からなくなった。いや、『理解出来ない』という壁を作ったんだ。瞬間的に作って消えたその壁を、自分の中に作ったオレ自身が許せなかった。
 これじゃまるで懺悔だ。広げた両手をグローブ越しにでも爪が食い込みそうなくらいに強く握り締め、オレは煮凝った言葉を吐き出していく。
「……なら、今からお前の家族をひとり殺してあげましょうか?そうすれば嫌でも分かるでしょう」
 そんなオレを見下ろしていたハルトがまた一度口を開いた。これがふざけて言ってるのなら即座に胸倉を掴んでいたが、こういう場面でふざけるような男でないのはよく知っている。
「お前がそれを分からないというなら、理解できないことを認めたらどうです」
 大人しく次の言葉を待つオレと目を合わせ、そう言い切ったハルトは続けた。
「……もう随分昔の話ですが。俺の兄は、病で死にました。妹は、連れ攫われて殺されました。…俺はそれを誰かに理解してほしいと思ったことはありません。そんなこと、誰も知らなくていいでしょう」
 自分の過去について話す様子は淡々としていて、その中身はオレの生きてきた世界のどこにも無かったモノだ。さっきオレを幸せだと言ったのは恐らくこういう事だったのだろう。死というモノがすぐ近くにあったハルトからすれば、きっと。
「もしお前が理解することを「助ける」ことになると考えているなら、──反吐が出ますね」
 キッパリと言い放たれた言葉に何も言い返せず、ただ押し黙るしか出来なかった。その歯痒さに堪らず奥歯を噛みしめ、顔を伏せる。
「イカルス、武器を取りなさい。手合わせしましょう。…今のお前なら容易く殺せそうです」
 武器を取れと言われ、顔を上げたオレの目の前には雨粒が滴る切っ先が突きつけられていた。


  ・


 キィン、キィンと金属同士がぶつかり合う音が響く。ハルトと刃を交えるは初めてではない。これまでに何度も手合せと言う名の斬り合いをしてきた。
 だけど今日のは違う。太刀筋で分からない程オレだって馬鹿ではない。オレを容易く殺せそうと言ったコイツは、その気になれば本気で殺すだろう。受けた刃を払っては懐に入らせまいと必死に間合いを開けていく。普段は受けながらも切り込んでいる分、ここまで防戦に徹しているのは初めてかもしれない。
 立ち会いが始まる直前、ハルトに言われた言葉が気持ちがいい程に突き刺さった。見ないようにしていたモノを見透かされた気分だった。自分は何だって分かってやれると思っていた。でもそんなのはただの驕りでしかないと、目を逸らすなと言われた気がした。
 あの時悪かったの一言も素直に言えない自分も、勝手に一人で気まずさを感じて避けてしまった自分も、理解者だと思い込んでた自分も、何もかも──
「反吐が出る、か──確かにな」
 今一度受けた刃を、今度は払わずそのまま足を踏み込んで押し返す。体格差に開きはあっても馬力なら負けない。両の刃で押し込めば今度はハルトがナイフを払った。
 ジリジリと相手の出方を窺うように互いの位置が遠間になった所で、オレは剣を下ろした。中でモヤモヤとしていたモノは全部無くなって、答えが見つかった気がしたからだ。
 ハルトは得物を鞘に収めたオレを追撃する事なく、自らもそれに続いた。黙ってはいるがその顔は、それでとオレの言葉を待っているように見えた。
「一つ借りが出来たな。ありがとうな、ハルト」
 コイツと知り合ってから今に至るまで、こんなにも穏やかな物言いをした事があっただろうかと我ながらに思う。心が何だかスッキリしている。それはきっとハルトのお陰であるのは確かだ。
「…別に、お前の態度が気に入らなかっただけです」
 しれっと言いのけたハルトはプイっと背を向けた。けれど、その顔に少しばかりの笑みが浮かんでいた一瞬は見逃さなかった。愛想笑いでも何でもない、ごく自然と出たようなハルトの笑みを見たのは初めてだった。
「そうかよ」
 つられて口の端をあげて返せばそのままハルトは去って行った。オレはその背を見送った。じゃあな、ともまたな、とも言わずただ黙って濃紺の背を見送った。
 そしてハルトの背中が見えなくなった頃、オレはくるりと方向転換する。酒場に行くのはヤメだ。
 家に帰ろう。そしてアイツと話をしよう。あの時の、そして今のオレの気持ちを聞いて貰うために。

 気付けば、雨は止んでいた。

・聞いてくれてありがとう、ハルトリーナ。
・そういえば初めて名前を呼びました。

◎お借りしました:ハルトさん(@るの人さん)