あんころもち

【アンコールは普通の子】



『トゥーズロスト家』とは、とある小さな島国の貴族の内の一つ。王家主催の社交の場に招待される事も多いほどには名家と呼ばれている。
『トゥーズロスト家』とは、その誰もが何かに秀でている者。そして家名の繁栄を何よりも大事とする者である。──それらを家訓とする、貴族としてはある意味で典型的な家でもあった。
『トゥーズロスト家』の当主には子どもが六人いた。その末子、四番目の娘の名前はアンコール・トゥーズロスト。
女とは男の元へ嫁いで夫の姓になってしまう物。それ故に男児を望んでいたが、"また"女児が産まれた。
だから"アンコール"──それが名の由来だと彼女本人が聞かされたのは齢七つの頃である。
二人の兄は剣術や狩猟に秀で、三人の姉は歌や楽器、美術に秀でていた。
兄や姉たちが家訓に準じるように特技を磨いていく中、アンコール自身に特筆して優れているモノは無かった。
物覚えも良く、教えられた物事はソツなくこなした。勉強も運動も音楽も二、三度教えられたらそれなりに出来ていた。
社交界のマナーも貴族との付き合い方も教えられた通りに、もしかすれば教えられた以上に上手く立ち振る舞えた。
決して悪いことではない筈だが、それを両親は良しとはしなかった。彼らがいつも子どもに向けていたのは冷ややかな眼差しか溜息だった。
最後に頭を撫でられたのはいつの頃だったろうか。今よりもずっと幼い時分だったような気もする。
上の子らに比べて何の取り柄もない凡庸な娘──それが二人が末の娘に下した評価だ。
そんな娘に目をかける時間があるのなら、姉の嫁入り先や兄の結婚相手を探す方に時間を割いた。
貴族界における地位の確立、安定あるいは昇格はトゥーズロスト家の訓に倣えば当然の事だ。
悔しければ自分の才を開花させれば良いだけのこと。それが出来てないのならどんな風に思われても仕方ないのだ。彼女は自身の評価をそうやって受け止めていた。
そんなアンコールにはお気に入りの場所があった。屋敷の中にある図書室、そこに足繁く通った。
両親はそんなものばかりとあまり良い顔をしなかった。両親の言うことにはいつも「はい、お父さま」「はい、お母さま」と二つ返事をする彼女だったが、それでもアンコールは図書室へ通う事をやめなかった。
彼女は物語の本が好きだった。子どもには少し大きい椅子に腰をかけて表紙を捲れば、そこにある優しい世界を見せてくれる物語が大好きだった。
"主人公を励ます陽気なおじいさん"や「起きた事を悲観しても仕方ない」と、主人公を導く幽霊のおばあさんの前向きな言葉を、自分が言われたように心に留めてた。それがいつしか心の支えになっていた。
彼女は十七の年月をこうして過ごしてきた。

十七の歳になって数ヶ月経ったある日。トゥーズロスト家とも親交のある貴族の家で催された茶会の帰り、彼女の乗った馬車が数人の強盗に襲われた。
遠目からでも上流階級の者が乗っていると分かるような車なのだ。賊が目をつけるのは何ら不自然なことではないだろう。
手綱を握っていた馭者は殺されはしなかったが路上に放り出され、車ごと彼女は攫われた。
馬車の外では襲撃者たちが大声で何かを話している。アンコールはただ座席で静かに縮こまることしか出来なかった。
連れて来られた先は船の上。野蛮な風体の海賊たちの中心に、それを纏める頭目らしい男が立っていた。
頭目の男は言う。
「金さえ出せば生かして帰してやる」
既にその知らせを彼女の家に送ったという。
アンコールは信じていた。父が、あるいは母が自分を心配していると。助けに来てくれると。
数時間後、返事の手紙を握り締めた手下が戻ってきた。
字が読めないらしい手下の代わりに頭目はアンコールに読むよう指示をした。
手下から手渡された、彼の手によって皺だらけになってしまった手紙には見慣れた父の几帳面な字が並んでいた。簡潔に書き連ねた字を少し緊張した声色で読み上げる。
『我々の回答は以下の通りである────』

***

ドボン、と重いものが沈む音を間近で聞いた。
次に聞こえてきたのはゴボゴボと水が泡立つ音。
気がつけば私は天を──否、海面を見上げていた。
揺らめく波間はあっという間に遠のいていく。絡みついた錨は私を水底に押し込もうとぐんぐん進んでいく。
息が出来ない──それはそうだ。私は人魚のお姫さまじゃないもの。
落ちる直前に取り込んだ酸素なんて大した量ではなく、それさえ今ではコポリ、コポリと泡に変わり私の代わりに上へと昇っていく。
でも不思議と息苦しさはそこまで気にならない。今、私の頭の中を埋め尽くしているのは苦しさではなくこれはきっと、自棄の念という物の気がする。
(どうして、こんなことになったのかしら──)
兄たちのように、姉たちのようになりたかった。才があって父や母と楽しそうに会話して──温かそうなその輪に私も入りたかった。陽だまりのようなその中に入ってみたかった。
ただそれだけだったのに──それは高望みだったのだろうか。蝋燭の翼でしかなかったのかしら。
でもあそこはとてもキラキラして見えたから、私にとってはやっぱり太陽だったのかもしれない。
それじゃあこうなっても仕方ないのかしら。太陽に近づこうとしてしまった罰なのかもしれない。
そうか、と納得出来たところで余裕が出来たらしく息苦しさを実感し始めた。
こんなに水を飲んだのは初めてで、こんなに息苦しいのも初めてで、だんだんと視界が暗くなっていく。
海面越しの陽光が見えなくなってきたその時、淡い星の瞬きが見えた。
ああ、いつのまにか夜になったのね。だから辺りが暗いのだわ。
遠くに輝く星の光はまるで私に手を差し伸べているようにみえた。
太陽と言わずとも、お星さまには手を伸ばしてもいいかしら。だって星に近づいて地に落ちてしまう話はないもの。
これ以上離れてしまわないように、光に手を伸ばす。これまでただ沈んでいくだけだったけれど初めていきたくないと抵抗した。
だけど絡みついた鎖のせいで腕はうまくあげられなくて、こうしてる間にも錨は海の底を目指して進んでいく。
待って、おねがい。これ以上は届かなくなってしまうの。だから、もう少しだけゆっくり──
その時、星の光がくらりと揺らめき始めた。
私が沈んでいくのと同じように、星は波に押し流されていってしまった。
やっぱり、だめなのね。私のお願いはきいてもらえないのね。
星を流すなんてひどい波だこと。何ていじわるなのかしら。
憎らしいと思いながらも、私は手を伸ばすのをやめた。だってもう届かないから。諦めるしかないから。

星がなくなって、すっかりまっくら。いまこうやってなにかを考えられるだけすごいのかも。
さいごのさいごに、あたらしいできることがふえたなんて少しおもしろいかも。
これはきっと不釣りあいなわがままのばちがあたったのね。さいごにきづけてよかった。
でもどうせなら、どうせさいごというなら、もっとわがままを言ってもいいかしら。少しくらい、わるいこになってもいいわよね。

かみさま。かみさまどうか、もしも次があるのならこんどはあのひだまりに、はいれますように────




・アンコールの父は助けようとしたのか、見捨てたのか。海に落とされたのか落ちてしまったのか自分から落ちたのか。
・それによってアンコールの最期って大分毛色が変わってくると思ってる。
・思い出さない方が絶対幸せだと思う。