【 First Xmas 】
「すっごい人ね」
アランが思わず漏らした言葉にヒューは声なく同意した。眼前に広がっているのは露店が立ち並ぶクリスマスマーケットと人。そして人。
紙袋を抱えた大人が忙しなく、あるいは自分と同じくらいの子どもたちがはしゃぎながら往来する人の波がそこにはあった。
行事に縁のある暮らしをしていたわけでもなければ、暦を見る習慣さえまだあまり無いヒューは忘れていた。そういえばこの時期は街が一気に華やいでいた気がする。
親方から商売の狙い目だと教えられ、買い物客たちにマッチはいかがと声を掛けていた昨年までの冬を思い出した。
「ヒュー、離れないようにね」
人の波へ飛び込む前にアランが手を差し出せば、ヒューはそれに呼応するようにギュッと掴んだ。
これまでの旅の中で迷子になったことはない。しかし人混みの中から師匠を見つけ出せる程の自信は無かった。そう思うと掴んだ手に思わず力が入る。
「大丈夫よ」
ヒューの手が力んだことで、察したらしいアランの優しい声が頭の上に降りてくる。見上げた先の微笑みに手の力は緩んだ。
かくして二人はどちらが先ともなくマーケットへと足を踏み入れていった。
・
外側からは雑踏のように見えていたマーケットも、実際に中へ入ってみれば思っていたよりも雰囲気は落ち着いていた。
先程までの不安はどこへやら、ヒューは左右に立ち並ぶ露店の商品をキョロキョロと見回しながら歩く。
天使の人形や愛らしいぬいぐるみ、この時期によく見かける『白い』服の老人を模した飾りなど、これまでは遠巻きにしか見たことのなかった物があちらこちらに置かれていたのだ。
どこかの露店から漂ってくる甘い香りに鼻を擽られながら、ヒューの目はあちこちに忙しく動いていた。
マーケットの中心部へと差し掛かった頃、紅茶の香りがする露店の前でアランが足を止めた。新しい茶葉を見繕いたいらしい。
「お一ついかが?」
どれにしようかと二人で見ていると、店の女性が試飲用に小さなカップを差し出してきた。
二人で受け取ったそれを火傷しないようにゆっくりと口の中へ流し込む。少し苦くて温かな琥珀色が喉を通り、ジィンと全身に染みていくのが伝わってくる。
師匠はどうやら味を気に入ったらしく、これに決めたようだ。会計をする様子を眺めながらもヒューの意識は既にまだ見ぬ露店たちへと向き始めていた。
「お待たせ。さ、行きましょ」
カップを返し、試飲の礼をしてからその場を後にした。
――マーケットを出る頃には二人とも紙袋を抱えながら歩いていた。
弟子が何気なしに口をついて出た――クリスマスって、何をするの?――という一言が師匠の心に火をつけたようで、気が付けば肉にお菓子に飾り物にと様々な物が師匠によって購入され、帰ったらキャンドルを作る予定が出来た。
「すっかり連れ回しちゃったわね。疲れたでしょう?」
「ううん。楽しかったから、平気」
石畳を並んで歩きながらクリスマスについての講座が始まった。今までのヒューにとって、異世界の物といっても過言ではなかったそれらが今年は用意されるそうだ。
張り切っている様子のアランの表情を見ているとこっちまでそわそわしてくる。
・
宿に戻ってからの二人は日が沈むまで、そして朝日が昇ってからもパタパタと動き回った。
その中でもクリスマスの講座は行われる。ツリーの飾り付けやキャンドルの作り方、くるみ割り人形が何故役人の姿をしているのか――師匠が教えてくれることを忘れないように頭の中で繰り返しながら吸収していった。
「ねえヒュー。お使い頼んでもいい?」
二人で食事の準備をしているとアランが思い出したように言った。
お使いの内容は少し奇妙だった。宿から少し離れた所にある郵便局へ行ってアランの手紙を出すついでに絵葉書を買い、それが無事に済んだらその横の商店で明日のチーズとパンを買って帰ってきて欲しいと言う。
「お店なら、すぐそこにも、あるよ?」
ヒューの指摘は妥当なものだった。わざわざ遠くに行かなくとも、そちらに行けばすぐに戻って準備の手伝いも出来る。
「そうなんだけどね、どうしても向こうのお店で売ってるやつが良いのよ」
アランがお願い、と続けるならば押し通す訳にもいかない。分かったと頷けばアランは何処かホッとしたような表情でありがとうを言った。
風邪引かないようにとしっかりマフラーを巻かれ、預かった財布をしっかり握り締めてヒューは部屋を後にした。
アランのお使いは滞りなく済んだ。ただ案の定、陽は傾き始めてきた。
落ちきる前には帰り着けるだろうが、急いで帰るに越したことはない。
トントンと階段を上がり、外からノックを2回。帰宅の合図だ。
中からパタパタと駆け寄ってくる音と少し慌てたような待って、と言う声が聞こえてくる。
「お帰りなさい、ヒュー」
扉が開くとアランの肩が少し息を切らしたように上下していた。
「ただいま、アラン」
言葉を交わしながら中へ入ろうとするとアランが制止した。
「ねえヒュー。少し目を瞑ってくれる?」
アランの意図は読めないが、言われた通りにキュッと目を閉じる。いつの間にか買い物袋は引き取られていった。
空になった両手をそっとアランが取ると、ゆっくり中へと導かれる。
何も見えないが、聞こえるのは自分たちの足音。漂ってくるのはどこからともなく食欲を唆る香り。
それらの情報を掴み取りながら、一歩一歩と転ばないように進んでいく。
「さ、目を開けて」
ピタリと歩を止めて一拍。アランの声に従い、ゆっくりと目を開けた。
「……」
開けた視界の先にある光景に息を飲んだ。何か言おうとしても、すぐには言葉が出てこなかった。
食卓の上で揺らめいているのは二人で初めて作ったクリスマスキャンドル。それに照らされている大皿に乗ったチキンや丸太のような形のケーキ、グラスに注がれた甘い果実のジュース。
過去に一度だけ、誰かの家を覗き込んだ時にキラキラと輝いていた物たちが――窓の向こう側でしかなかった景色が今目の前に広がっていた。
「これがクリスマスのディナーよ」
「すごいね、すごい……」
後ろからヒューの肩に手を置くアランの言葉にすごい、の言葉を出すのがやっとだった。
食卓の上に広がる別世界の光景にどうして良いか戸惑いが隠せず、思わず困ったような表情で師匠の顔を見上げる。
「これ、私も食べていいの?」
「勿論よ。貴方に食べてほしくて張り切っちゃった」
どうしたら良いかと自身の顔と料理を交互に見る弟子を安心させるような笑顔を見せながら師匠は答える。
その言葉でヒューは漸く理解出来た。
――これは人から、自分を想って贈られたクリスマスなのだ。
目の前の光景はもう別世界などではない。自分も窓の向こう側に来られのだ。
心臓の辺りがじんわりと暖かくなっていく。これがどういう感情なのかをヒューは知っている。
「ねえアラン」
「うん?」
ヒューが卓から師匠の方へと顔を移すと再び目線が合う。
「クリスマスって、すごいね」
「ふふっそうでしょう?」
「冷めない内に頂きましょう」
アランに促され、いつものように向かい合って席に着いた。
ヒューがボトルを取り、グラスにそっとジュースを注いでいく。
ほんのりと黄色く色付いた液体が二つ並ぶと、それを手に取ったアランが問う。
「さ、クリスマスの挨拶は出来るかしら?」
ヒューがうんと首を縦に振ると、二人は口を揃えて言う。
「メリークリスマス」
二つのグラスが高らかに晩餐の始まりを告げた。
・
カーテン越しの柔らかい日差しがヒューの瞼を擽る。ゆっくりと目を開けてムクリと起き上がった。
ベッドの横を見ると一方は既に空になったベッド。もう一方には、昨夜寝る前に掛けた靴下の中に何かが入っているのが見えた。
見間違いかもしれない。ゴシゴシと両目を擦ってからもう一度確認する。
やはり何かが入っている。でも中身は一体何なのだろう。一体誰が何のために入れたのだろう。
疑問は浮かび上がる一方で解決する気配がない。こういう時まず頼るのはやはり彼女だ。
「アラン」
この前買った紅茶を淹れている最中の彼女が振り返った。
「起きたのね。おはよう」
「おはようアラン。あの、これ……」
どう説明していいのか分からず、中身の詰まった靴下を掲げる。ヒューの様子に合点がいったらしい彼女はああ、と一言だけ漏らした。
「それについて説明しないとね」
そう言って両手にカップを二つ持ちながらソファへと向かうアランに付いていった。
二人がけのソファに並んで腰をかける。そしてもう一度、師匠の前で靴下の中から包みを取り出した。
「さっき起きたらね、これが入ってたの」
ヒューの手に収まる程の小さな包み。青地に白い雪の結晶が散りばめられた包紙のそれをアランに見せた。
「これはサンタクロースからの贈り物ね」
「サンタ、クロース?」
師匠の口から出たのは知らない名前だった。しかもそんな人物が自分に贈り物をしたという。ヒューは思わず首を傾げた。
「どうして、私に?」
それはごくごく自然な疑問だ。ヒューの抱いた疑問の塊を解きほぐすようにアランは一つずつ説明を始めた。
何でもサンタクロースというのは善い行いをした子どもたちに贈り物を靴下の中に入れていくという――
ヒューが毎年見かけていたあの老人だった。
しかも彼は今まで白い服を着ていると思っていたが、どうやら服の色は赤だったようだ。
「これ、開けていいの?」
「勿論よ。貴方への贈り物だもの」
師匠からの後押しを貰い、音すら立たないくらいにそっと包紙を開けていく。中身は小さな箱だ。その蓋を恐る恐る開けた。
「あ……」
そこに入っていたのは星と雪の結晶が重なりあったブローチだ。その中心部には小さな石が埋め込まれている。
「素敵なブローチね」
「これ……」
ヒューは言葉にならない様子でブローチとアランの顔を交互に見た。
今彼女が掌に載せているブローチ。それはあのマーケットで見ていた物だった。
――何か気になるものでもあった?
――えっと……ううん、平気
あの時は何でもないような素振りをしたが、本当は気になって仕方がなかった。
綺麗だから。雪はアランで星は自分のよう。理由はいくつもあるが、一番の理由は――
「これは、アランの色、だから」
これを売っていた露店の主人が教えてくれたのだ。中心部に埋め込まれた石の色はアランの瞳と同じ色をしていると。
様々な青があるように、赤も様々だと聞く。だから彼女の瞳がどんな赤なのかがヒューには分からない。
だからこれは『赤色』を認識出来ない自分なりの、自分にとって大切な人の色を知る方法だった。
「うれしい……」
ヒューの口元が小さな笑みを象った。表情を変えることが殆どない彼女が珍しく見せる笑みだった。
「きっとヒューが良い子だったからサンタが来てくれたのね」
アランの言葉ではたと気付いた。サンタクロースは善い行いをした子どもの元に来ると言う。
自分はそれをしていたのだろうか。
悪行をした覚えはないが、善行らしいことをした覚えもなかった。だからなのだろうか――
「でも、今までは、来てくれなかった」
ポツリと呟いた言葉に、アランの目が少し細まったように見えた。
違う、悲観しているのではない。憤慨しているのでもないと頭を振り、掌のブローチを見つめながら、あのねとヒューは続けた。
「冬になるとね、街の隅っこで、雪から隠れるように寝てたの。こういう靴下も、無かったし」
「私、知らない間にサンタとかくれんぼ、してたみたい」
ヒューが隣に座るアランに抱き着く。
「今年はアランと一緒だから、見つけてもらえた」
他の子たちはプレゼントを貰っていたかもしれないが、サンタとかくれんぼをして遊んだのは自分だけだ。そう思えばこれまでの冬だって悪くはない。
抱きついたヒューの頭を撫でる優しい手の温もりを感じる。そしてふと、ある事に気付いた。
「ねえアラン。サンタって、今どこにいるの?」
パッと顔を上げた弟子からの唐突な質問に少し面食らいつつ、うーんと少し考えるようにアランは答えた。
「そうねえ……家で休んでる頃かしら。どうして?」
「ありがとうって、言いたくて――」
「でも、どこにいるか、知らないから」
誰かに何かをしてもらった時はお礼を言う――ヒューが最初に大人から学んだ事だ。
しかし、所在が分からなければ礼の言いようがない。どうしよう、とヒューはアランの顔を見つめた。
「じゃあ手紙を書くのはどう?あなたの気持ちもきっと伝わるわ」
「手紙?うん、ステキだと思う。でも――」
師匠の提案に肯く。しかし、尻込みする気持ちを隠せないでいた。
「字、まだ書けないのが多いから……」
手紙というアイデアはとても良い。だが、教育らしい教育を受けてこなかったヒューの読み書きは自分の名前が精々だった。
師弟の旅を始めた頃から学び始めたものの、手紙を書ける自信はまだ無いのだ。
「じゃあ一緒に書きましょ?」
「うん」
今日の予定が早速出来た。
・クリスマスについて教えてもらう回。
・ディナーの準備はお使いの間に。
◎お借りしました:アランさん(@雪水堵さん)