あんころもち

【嫌いな笑顔】



懐かしい夢を見た。もうずっとずっと記憶の奥底に沈めていた遠い昔の夢だ。
遠い遠い、思い出したくなかった筈のその記憶。どうして今更と、漏れる溜息を抑えられなかった。
鬱屈とした気持ちを吹き払うように、フウと一息吐いた所でふと外が慌ただしい事に気付いた。
「何かありんした?」
廊下を覗いた所で偶々通りかかった者に声を掛ける。
その表情は困惑と焦りの色が織り交ざっていて、識依の質問にどう答えていいのか分からないと言った様子で口ごもっていた。
「あ、識依さん。じ、実は……」


再び自室へと戻り、事の次第を説明し終えて立ち去って行った彼から聞いた話を頭の中で反芻させる。
一部の遊女たちが一晩の内に行方不明になってしまったと言う。
しかもこの遊郭だけではなく、陰陽師や貴族、軍の中にも同じように忽然と姿を消した者がいるらしいとの噂まで流れているらしい。
(軍の関係者――あの子でありませんように……)
時間が経つにつれて胸のざわつきが段々と大きくなっていく。彼に、敦志に万が一の事があったらと思うだけで視界がグラついてくる。
ただでさえ妹は行方知れずだと言うのに、弟までなど笑えない冗談だ。
起床してから二度目の溜息を吐くと、外から申し訳無さそうな声で呼び掛けられた。
「あ、あの、識依姐さん」
入るように促すと、また別の者がこれまた対処に困ったような表情で入ってきた。また別の事態が起きたのだろうか。
「どうかしんした?また何かありんしたか?」
「いえ、実は姐さんにお客様がお見えになってて」
営業時間にはまだまだ遠いこの時間に客という事は相当火急の用事なのだろう。
しかし、自分にそんな内容の話を持ってくる人間など――そう考えた所で一つの、恐らく正解なのであろう可能性に気付いた。
「分かりんした。お通ししておくんなんし」
「え、でも……」
「待たせるのは申し訳ないでありんしょう?恐らく長居はしない筈でありんす」
この混乱時に余計な事を起こすのも忍びない。相手もあまり時間の無い身だ。
さっさと終わらせてしまった方が良いだろう。そう諭すと、無理矢理にでも納得したのか了解の言葉が返ってきた。


「やあ、無理を言って悪かったね」
そう言って入ってきたのは一人の紳士、巨泉大秦だった。
「ごきげんよう御座いんす」
「ああ。君も元気そうで何よりだよ」
今日も気に入りの白い背広を纏ったその顔は、悪いと言う割には爽やかな笑みを浮かべている。
挨拶もそこそこに、識依は自分のすぐ側に控えていた従業員の彼にそっと声をかけた。
「ここは大丈夫なので、席を外しておくんなんし」
巨泉を連れてきた時からソワソワとしていた彼は恐らく、この場を他の者に見られたくなかったのだろう。
それにこの郭の中で起きている事件の事もある。
席を外すよう促し、他の者にも近寄らせないようにと指示を出し、この事は内密にと耳打ちするとすぐに了解の返事をしてくれた。
「ありがとう」
識依が礼を言い終わるが早いか、素早く彼は部屋を後にした。

彼が出て行くと同時に、部屋の中の空気はピィンと静かに張り詰めた物へと変化した。
「それで、今日はどうなされたのですか?」
「ちょっとした、緊急の話だよ。人伝よりは直接の方がと思ってね」
緊急と言う割には何処か楽しそうにも見えるその表情が、識依は好きではなかった。
この遊郭に来る前からずっと--











いつもひどい事だけを告げに来るんだ--



・・つまりそういう事でしたって感じの話。
・大変だっていうのに割と好き勝手にしててすいません。
・一方その頃、話題の中心人物は攫われてる。笑ってくれ。