【 ヘレボラスは夜に咲く 】
月が真上から街を照らす頃、オレはとある娼館の裏口を物陰からジッと見つめていた。
この店の地下では闘技場で夜な夜な試合が行われている。となれば勝った負けたの賭けが行われて金が動く。
そして当然、賭けに勝った奴も出てくる。オレの狙いはそういう奴らだ。懐がぬくぬくと温まって浮き足立ったそいつらを背後からザックリ、という魂胆ってワケ。
オレみたいにスラムで生まれ育った奴なら珍しくもない稼ぎ方だが、恥も卑怯もあったもんじゃなし、それを気にした所で飯にあり付けたりはしない。
この場所を陣取る前に少し中の様子を覗いたが、今夜も中は大いに盛り上がっていた。試合が盛り上がれば盛り上がるだけ稼ぎに期待が持てる。
しめしめと口の端をニヤつかせていると裏口の扉が静かに開き、中から外套代わりのボロ布を纏った奴が出てきた。
フードを目深に被ってるせいで顔は見えないが、背格好からして男だろうそいつは確か試合に参加していた奴だ。ついさっき、リングの上でひらひらとはためいていたそれに見覚えがある。
男は周囲を一瞥してから、オレが潜む裏通りの方へと歩き始める。長靴の踵をコツコツと鳴らしながら、そいつはオレに気付かず目の前を通り過ぎていった。
入り組んでいる道を迷う事なく奥へと進んでいく男の後を付けていく。すると段々と歩くスピードが速くなっている。
どうやら気付かれたらしい。だがここでやめては食いっぱぐれるだけだ。だったら勝負をキメるしかない。
ゴミが散乱する路地の突き当たりに差し掛かった所で、右手に握ったナイフを勢いよく振りかざす。
「オラァ!!」
してやった!──と思えたのも一瞬だけ。刃を振り下ろしたと同時に、オレと向き合った男に腕を取られる。
ナイフは辛うじて男の右の手袋を裂くだけに止り、その腕は男の長靴によって蹴り飛ばされた。
手からするりと抜け落ちる感覚、それと同時に走った痛みに顔を歪める。
外套から伸びてきた腕は隆々としたものではなかった筈なのに、想定以上に重い掌底が腹に押し込まれる。その衝撃は一瞬、呼吸するという行為を忘れさせるものだった。
「カハッ」
空気を求めるように口を開けながら、よたよたと後ろへ足踏みをして漸く踏み止まったところで男の立っていた方へと顔を向ける。
だがその瞬間、まず目に入ったのは掌。次に視界を覆う黒。最後にガンッと後頭部が固い何かに叩き付けられた衝撃。
その固い何か──先程まで背にしていた石壁だろうか──から頭が離れ、自分の体がゆっくりと倒れていくのが分かる。
その時、オレが裂いた手袋の下に黒ずんだ肌が垣間見えた気がした。
ドサッという音と服越しに伝わる冷たさで地に倒れたのが分かる。段々と気が遠くなっていく中、微かに衣擦れの音を立ててしゃがみ込んだ男はオレの手を取って何かを握らせた。
「医者でも酒でも、好きに使うといい」
漸く聞けた男の声を最後まで聞くことは出来なかった。
・地下闘技場の帰り道のマリーvsモブ。